(書評)アキッレ・カスティリオーニ 自由の探求としてのデザイン 多木陽介
イタリアには元からデザイナーはいないんですよ
皆建築家なんですって
といったちょっとどう反応したら良いか分からない
雑学でこの本を紹介してくれた同僚へ
ありがとう
間違いなく読む前より、デザインというものに対して興味がわき
さらにデザインの可能性を再認識する事となった
デザインとは
”好奇心→観察→分析→さらなる探求”
といった流れで出来る
”一見なんでもないフォルムやそれを使う身振りの中にどれほどの知性が隠されているかを発見する事をデザイナーとしての努めの第一歩”
”ごく単純な一つの道具を分析する事で世界を発見する事ができる”
色々なプロダクトにおいて、そのデザインには意味がある
デザインって聞くとどうしてもスタイリッシュだとか、カッコ良い、キレイとかビジュアル的な事を想像してしまう
デザインは世の中の課題を解決する為にある、世の中の「困った」を解決する為にデザインがある
アキッレはいう
まず何かをデザインして追加することではなく、現状問題点を明確に分析し、論理的に糸口を模索する思考行為が大切だと
カスティリオーニはいう
「機能が果たせるのであれば、物は見えなくても良い」
「私のデザインが有名になんてならなくて良い、誰が作ったかも分からず、皆が日常生活で気付かないうちに使っている方がよっぽど嬉しい」
根底は人々の生活に置いて役に立たなければその”デザイン”は意味をなさない
日本におけるデザインの認識は「浅い」と思う
根元に何があってデザインするのか?
課題解決か、カッコよさ、使いやすさ
本来デザインとは未だ人々の気づいていない潜在的な必要性に答える為のデザインなはずが、その根底がいつの間にかズレていた
今になって本来当たり前だった
ユーザーエクスペリエンスの重要性がまた唱えられているのではないだろうか
只の仮説である